2018年08月21日

検診結果と墓参り&阿部恭久「秋彼岸」

 昨日は午前中に先日受けた食道癌の定期検診の結果を聞きに神戸大学附属病院まで行ってきました。再発していたらどうしようと多少ドキドキしながら待っていましたが、結果は問題なし。ホッとしました。9年前に受けた同じ食道癌の手術では、5年後に再発したので、4年目の今回ではまだ安心できません。でも、とりあえずは一安心といったところです。
 帰宅し、2時間ほど休んだあと、大阪・高槻市にある霊園に墓参りに行きました。高槻市と言えば、6月18日に起こった大阪北部地震の震源地だったので、墓石が倒れたりしていないかと心配していましたが、何事もなく、こちらもホッとしました。お盆休みも終わったあとなので、墓は人影もなく、ひっそりと静まり返っていました。
 墓参りと言えば、阿部恭久さんの「秋彼岸」という詩を思い出します。家族3人で秋の彼岸に墓参りに行ったときのことを描いた詩。後半を紹介します。

  ここの墓は、皆ひくくふるい
  穀物にかこまれて健康だ

  祖母のにおいがする
  二十年前に往った人
  私のにおいもする
  みっつになるこどもがかけまわる…

  祖母のにおいにふくらんで
  稲田をかえる
  われわれ田のものを腹に入れ
  西にむかう
    (詩集『田のもの』より。1981年刊)

 この詩は初出誌(「詩と思想」7号)では、「二十年前に往った人」のところが「二十年前に狂った人」と誤植されていて、そのそれぞれの味わいの違いについて、昔出していた「青髭」という同人誌で論じたことがあります(VOL15。1984年7月)。誤植の「狂った人」もなかなかいいのでは、と。その部分を引用します。
「二十年前に狂って死んだ祖母のにおい、それに混じって自分のにおいもする、傍らではこどもが何も知らずにかけまわる……。「狂」という字をはさんで、祖母と自分とこどもがいる。そこに、血のつながり、それからくる不安や怖れ、そうしたものが読みながら伝わってきた。……」

posted by 高階杞一 at 12:55| Comment(0) | 日記

2018年08月19日

腰かけこむ?

 海外の翻訳小説などを読んでいると、ときどきおかしな日本語に出くわすことがある。たいていが文法の乱れであったり、原語の正確さにこだわりすぎて日本語としては不自然な訳になっている場合が多い。
 しかし、最近読んだ本の中に、上のどちらにも当てはまらない奇妙な言葉が出てきて、思わず読む手が止まってしまった。それは「腰かけこむ」という言葉だった。レイ・ブラッドベリの『華氏451度』(宇野利泰訳・ハヤカワ文庫)の中に出てくる。「腰かけこむ」って何だろう? こんな言葉は今まで聞いたことがない。最初は誤植かと思ったが、そのあと何度も出てくるので、単なる誤植ではないようだ。としたら、これはどういう意味だろう? 物知りの家人にも聞いてみたが知らないという。いくつかの辞典で調べ、さらにウィキペディアで検索してみたが、こんな言葉は出てこない。
 ちなみにこれは次のような文脈の中で使われている。2箇所引用します。

・むかしは玄関まえに、きまってポーチがあったもので、家族はときどき−−それはもちろん夜間のことだけど−−みんなしてそこに腰かけこみ、話しあったものだそうなの。(P109)
・あとは、カードの勝負に興じるか、どこかの部屋に腰かけこんで、テレビ壁をながめるくらいのことだ。(P143)

 どちらも「腰かけ(て)」でいいはずだ。なのに、なぜ「腰かけこむ」などという奇妙な言葉を使うのだろう?
 明らかに間違った日本語だと思えるが、1989年刊19刷の本書でもそのままになっている(初版は1975年)。商業出版なら校閲の手が入っているはずなのに、そのまま放置されているということは、校閲者もこれで正しいと思ったのだろうか?
 訳者を調べると、1909年生まれとなっている。昔の日本語にこんな言葉があったのだろうか?
 どうにもわけが分からない。
 もし「腰かけこむ」という言葉をご存じの方がおられたらお教えください。
 
posted by 高階杞一 at 17:13| Comment(2) | 日記

2018年08月14日

「きいちの音楽室」更新−「おもいでの夏」

 「きいちの音楽室」に自作「おもいでの夏」をアップしました。すでにユーチューブには自演版をアップしていますが、ここにはピアノ演奏版も載せています。ギターによる自演版とは違って、全体にテンポが速く、自演版より軽快な感じに仕上がっています。聴き比べていただければ幸いです。

 http://tkongaku.sblo.jp/

 お盆のまっただ中ですが、どこへ行くこともなく、家で本を読んだりしながら過ごしています。
 家人は昨日、中学の同窓会とかで、実家のある岡山へ1泊旅行。こちらは久し振りに羽を伸ばして……、いやいや羽を伸ばすヒマもなく、ワンコたちの世話をしたり、ご飯の用意をしたりして、慌ただしく1日が過ぎていきました。

posted by 高階杞一 at 12:52| Comment(0) | 作詞・作曲

2018年08月09日

長嶋南子詩集『家があった』書評

 長嶋南子詩集『家があった』。刊行から2週間ほど経ち、早くも何人かの方がブログなどで書評を書いてくださっています。概ね好評で、発行者としてもうれしい限りです。書いてくださった方々には厚くお礼申し上げます。

木村草弥(きむら・くさや)氏(歌人)
http://poetsohya.blog81.fc2.com/blog-entry-4416.html

谷内修三氏
https://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/a3ba61f5318b186fd0089df289047908

瀬崎祐氏
https://blog.goo.ne.jp/tak4088/e/bc97977a8336b1c4e0cb25c40883c742

塚本敏雄氏
http://blog.livedoor.jp/gate21tsukamoto/archives/9882507.html

posted by 高階杞一 at 11:25| Comment(0) | 空とぶキリン社

2018年08月06日

同人の2冊の詩集

 ガーネット同人の詩集が相次いで2冊出ました。1冊は大橋政人の『朝の言葉』(思潮社)。2年前に出た『まどさんへの質問』に続く新詩集。3章に分かれていて、メインとなっているのが1章の詩篇。10数年前に群馬県の上毛新聞に連載した40篇ほどの中から16篇が選ばれている。紙面の制約からどの詩も20字20行以内に収められ、かつ一般読者が読み手ということを念頭に置き書かれたものという。2章はやはり10年ほど前に書かれた詩篇から日常を題材にしたものを選び、3章は20年ほど前の作品から幼少年期に材を得た詩篇を選び収録したという。以上のことから、新詩集とは言っても、内容的には旧作の選詩集だと言える。旧作ではあるけれど、大橋政人独特の「日常の小さな発見」に満ちていて、魅力ある1冊となっている。

 ざら紙の「夏休みの友」
 その表紙に描かれた
 入道雲と麦藁帽子と立葵の花

 夏・懐かしきもの
 お昼のラジオ「昼のいこい」
 あの、ゆったりとしたテーマ曲を聴きながら
 家族みんなで昼寝をした
 目がさめたら家中だれもいなかったときの
 一瞬の恐怖と昼下がりの気だるさ
   (1章「夏・懐かしきもの」より)

 もう1冊は廿楽順治の「うだがわ草子」。こちらはパソコンで作成し、プリントアウトしてホッチキスで留めただけの手作りの冊子。先日空とぶキリン社から出した長嶋南子詩集『家があった』の表紙絵と同じ宇田川新聞さんの版画とセットになっている。たぶん宇田川さんの版画が先にあって、それに詩が付けられたものだと思われる。見開き2ページで1篇の世界。絵と詩が巧みに絡み合っていて、楽しい。
 全10篇の中から1篇紹介します。

 のの字
 のの字で
 かぼそく暮らしてきた
 殿にはせめて
 巻かれてきた者の死にざまを見せつけてやろう
 でも、そういう言い方は正確じゃないな
 修学旅行の夜のように
 肉ぶとんに巻かれて
 ほんとうはたのしんできた
 (おれはこれでよかったのかと)
 のの字
 のの字の
 暮らしはくやしくて
 そのくせいのちがけで芯が甘いんだ
   (「ロール」全)

大橋政人詩集『朝の言葉』.jpg

廿楽順治『宇田川草子』.jpg

廿楽順治『宇田川草子』「のの字」.jpg

posted by 高階杞一 at 13:50| Comment(0) |