2015年09月13日

中日新聞・東京新聞・読売新聞・神戸新聞

 9月11日(金)付けの中日新聞及び東京新聞の朝刊1面コラムに『水の町』の中の「長い雨」が引用されました(内容はどちらも同じ)。先日の中国新聞ではシリア難民のこどもの悲劇が「早く家へ帰りたい」に絡めて書かれていましたが、今回は先日の堤防決壊による水害に絡めて書かれています。

 http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2015091102000123.html

 読売新聞の書評欄(9月6日付)と神戸新聞の詩集時評欄(8月25日付)にはハルキ文庫が取り上げられています。前者は記者による紹介で、後者は細見和之さんによる紹介。お二人に感謝。

 仕事の方は15日締め切りの詩に取り組んでいますが、まだできません。だいたいはできているのですが、推敲の段階で難渋しています。かなり変な詩で、推敲するたび大きく中身が変わり、どう収めたらいいのか頭を抱えているところです。でも期限は後2日。明日中に何とか仕上げられたらいいのですが。

 この3日ほど、秋晴れのさわやかな天気が続いています。
 『水の町』は雨の詩が多いけれど、次のように始まる詩も収められています。
 「九月になれば/夏の楽しかったことを/庭に/いっぱい植える//時が過ぎ/いつか/君のいたことさえ忘れてしまう/そんな日が来たとしても…」
 ハルキ文庫の最後もこの詩で終わっています。

読売新聞 ハルキ文庫 書評 (1024x604).jpg


神戸新聞(細見)ハルキ文庫(文校) 2015.8.25.jpg

posted by 高階杞一 at 12:50| Comment(0) |

2015年09月09日

週刊金曜日、中国新聞ほか

 「週刊金曜日」(9月4日号)という週刊誌にハルキ文庫の書評が載っています。ツイッターに何人かの人が書いているのを見て知りました。早速買って読んでみました。評者は歌人の山田航(やまだ・わたる)さん。1ページにわたって書かれていて、とても心にしみる紹介文です。全文引用したいところだけれど、まだ発売中の本でもあるし、著作権の問題もあるので、部分的に紹介します。まずは書き出しの部分。
「この詩人には思い入れが強い。辛いことの多かった会社員時代に、図書館でたまたま『早く家へ帰りたい』(偕成社)という詩集に出会い、泣くほど感動したのだ。(中略)『早く家へ帰りたい』は、私にとってもっとも大切な本。面白かったとか勉強になったとかではなく、自分の魂の一部に組み込まれている一冊なのだ。」
 という具合に『早く家へ帰りたい』から始め、これまでの詩集の変遷を書いてくださっています。
 そして最後は次のように締めくくられています。
「高階杞一ほど、同時代を生きていることを幸福に感じさせてくれる詩人はいない。この言葉と、この感覚を、リアルな時代の呼吸とともに味わえる。彼の詩はきっと、沢山の人を救う。」
 自分で書き写すのがはばかられるほど、本人には面映ゆい言葉ですが、山田航さんの思いをありがたく素直に受け止めたいと思います。

 『早く家へ帰りたい』と言えば、つい最近、中国新聞(9月6日付け)のコラムにも取り上げられていました。こちらは、シリア難民の幼児がトルコの浜辺に打ち寄せられて、世界中に衝撃を与えた写真に絡めて書かれています。この報道では、父親の話す言葉にやはり胸が締め付けられるような気持になりました。

 http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=183425&comment_sub_id=0&category_id=143

 朝日中高生新聞(8月9日付け)では金原瑞人さんがまた『水の町』を取り上げてくださっています。

朝日中高生新聞「水の町」金原瑞人2015.8.9(日) (1024x718).jpg


 このほか、先日9月6日(日)の読売新聞にハルキ文庫の書評が載っていたとの情報を得ていますが、こちらはまだ入手できていません。

posted by 高階杞一 at 12:20| Comment(0) |

2015年09月07日

ハルキ文庫 裏話あれこれ(3)

 前回の続きです。前回、年譜の幼少期のことが分からずに苦労したという話を書きました。今回はもっと物理的なお話。
 年譜の分量については、編集者から総文字数を指定されていたのですが、何を勘違いしたのか、できあがったものは指定された量の倍ぐらいになっていました。散々苦労して書き上げたのに、今度はそれを半分ぐらいまで削らなくてはならなくなりました。これはつらい。苦労した分、どの項目も捨てがたく、泣く泣く削っていくことになりました。
 例えば、高校時代、友人3人とエレキバンドを結成し、町内会の夏祭りや小学校のクリスマス会で演奏したこと。NHK「あなたのメロディー」収録のため上京した際、藤子不二雄さんの漫画制作会社「スタジオ・ゼロ」を訪ねて見学させてもらったこと。大学時代にインド・ネパールを旅したことなど。この旅についてはまるまる削りましたが、当初の原稿では次のように書いています。
「(1974年)2月、学生の身分のまま旅行斡旋業をしていた友人に誘われて、インド・ネパールへ行く(2月28日から3月25日まで。当時、ビートルズのメンバーがインドへ行くなどして、ちょっとしたインドブームであった)。途中高熱を発したり、赤痢にかかったりなどして、体重は1ヶ月ほどの間に10キロ近く激減した。苛酷な旅ではあったが、異文化に触れて得るものは大きかった。」
 この苛酷な海外旅行も後の詩作にたぶん影響しているとは思うのですが…。
 詩の関係では、「詩芸術」の同時期の投稿者に松下育男や岩佐なをなどがいたということや、一時期、岡田幸文・山本かずこ夫妻と密に交流していたこと、後に「詩学」編集者となる寺西幹仁君が大阪で始めた「詩マーケット」を積極的に応援した、といったことなども削らざるを得ませんでした。
 これら削った事柄は、いつかまたどこかに書けたらいいなと思っています。
 ということで、今回はここまで。年譜の苦労話はまだ続きます。

 詩の締め切りがあと1週間ほどに迫ってきました。いつものようにミューズの降臨待ちの状態です。

posted by 高階杞一 at 12:36| Comment(0) |