2015年09月07日

ハルキ文庫 裏話あれこれ(3)

 前回の続きです。前回、年譜の幼少期のことが分からずに苦労したという話を書きました。今回はもっと物理的なお話。
 年譜の分量については、編集者から総文字数を指定されていたのですが、何を勘違いしたのか、できあがったものは指定された量の倍ぐらいになっていました。散々苦労して書き上げたのに、今度はそれを半分ぐらいまで削らなくてはならなくなりました。これはつらい。苦労した分、どの項目も捨てがたく、泣く泣く削っていくことになりました。
 例えば、高校時代、友人3人とエレキバンドを結成し、町内会の夏祭りや小学校のクリスマス会で演奏したこと。NHK「あなたのメロディー」収録のため上京した際、藤子不二雄さんの漫画制作会社「スタジオ・ゼロ」を訪ねて見学させてもらったこと。大学時代にインド・ネパールを旅したことなど。この旅についてはまるまる削りましたが、当初の原稿では次のように書いています。
「(1974年)2月、学生の身分のまま旅行斡旋業をしていた友人に誘われて、インド・ネパールへ行く(2月28日から3月25日まで。当時、ビートルズのメンバーがインドへ行くなどして、ちょっとしたインドブームであった)。途中高熱を発したり、赤痢にかかったりなどして、体重は1ヶ月ほどの間に10キロ近く激減した。苛酷な旅ではあったが、異文化に触れて得るものは大きかった。」
 この苛酷な海外旅行も後の詩作にたぶん影響しているとは思うのですが…。
 詩の関係では、「詩芸術」の同時期の投稿者に松下育男や岩佐なをなどがいたということや、一時期、岡田幸文・山本かずこ夫妻と密に交流していたこと、後に「詩学」編集者となる寺西幹仁君が大阪で始めた「詩マーケット」を積極的に応援した、といったことなども削らざるを得ませんでした。
 これら削った事柄は、いつかまたどこかに書けたらいいなと思っています。
 ということで、今回はここまで。年譜の苦労話はまだ続きます。

 詩の締め切りがあと1週間ほどに迫ってきました。いつものようにミューズの降臨待ちの状態です。

posted by 高階杞一 at 12:36| Comment(0) |